そして

  • 5/4は玉川近代美術館にいって、6日は知人の個展を見てきた。
  • 日本人の近代絵画は大原美術館では模倣くさくて西洋のものよりも情感過多なのばっかり!って感じられて相当に霞んでたんだけど、玉川ではそうでもなかった。大原分館は地下の現代ものが面白かった。津上みゆきは好き。会田誠蜷川実花も思ってたより好きみたいだった。まあ現代ものは基本気に入っても当然、不思議は少ないか。
  • もう建物の構築、作品の配置からして、玉川近代美術館は収蔵方針のベクトルがより個人の趣向という筋に沿っているように見受けられ、趣味的と言うか楽しみの為に集められている度合いが強いように思われた。見ているときにはすごく楽しくて、それは大原のときよりもずっと楽しかったのだけど、記憶に戦慄が深く刻まれているのはあっちのセザンヌユトリロ、コッテあたりで、玉川のはあんま覚えていない。すぐ思い出せるのはダリの「ポモナ・秋」か。あれはものすごく素敵だった。対象の生身と描く側の精神の絡みのバランス。ルノアールの変わりにあれがある辺りが玉川近代美術館のいいところ。あと版画も好き。クラヴェ。
  • つうか、玉川はちっぽけな美術館だと想像していたので、展示品を見て驚いた。少々展示方法に享楽的な押付けがましさがあって、親切が余計だってところがあったが、それもまあ良し悪し。楽しかったし。楽しかったが。
  • 大体を描く人になったように仮定して、どういう状態だとそういう絵を描くことになるのかを想像するようにして見ていました。あーセガンティーニの描き方も戦慄系だったなあ。なんかレイトレーシング的感覚で描いている度合いが高いと感じる絵はそんな好きじゃないんだけど(ないのはまずいが)、あれはその感覚と対象の然る物性がまさに止揚されてバーストしてると思えてすごかった。ルソーの牛も相当別種のそれでもう、他の絵を見ていても視界の中にあると発光が放射しない奴が呼ぶ呼ぶ。モディリアーニは全然好きじゃなかったけど、マチエールだのフォルムだの面白いものがいくら見ても尽きなくて大層なものだった。そういう19・20世紀絵画の中に飾られると楽しみにしてたエルグレコは自分的には霞んだ。
  • アルバース、ロスコをはじめとして、フォンタナ、アルトゥングあたりでもおそらく、体験や認知はその後の自分を痕跡として残るけど、固有名の作品や作家名やその関連付けが随意に思い出せる記憶としては残りにくいことを確認(でもたぶん今回ので覚えた)。おっちょこちょいであれだって思い込んで固有性に届かなかったりとか、ないとはいいきれん。
  • ゲーテの「質料と形相」の話をちゃんと思い出して血肉にされたしとおもった。(追記:「質料と形相」はゲーテじゃなくてアリストテレスだった。形態論とごっちゃだった)
  • 大原美術館では鴻池朋子展もやっていたのだけれども、知人の個展はそっちに近かったかなーと思った。まあ続けていろいろ見るとどうしても見方に流れができてしまう。
  • そうそう、大原美術館はさすがにショップもしっかりしてて図録を買ってそのときを思い出せるようにできるんだけれど、玉川はそういうのがぜんぜん無く(絵葉書がちょこっとくらい)ウェブサイトhttp://www.city.imabari.ehime.jp/bunka/tamagawa/index.htmlも貧相でその辺何とかならんものか。実は結構見ごたえのある美術館なのになあ。元々は企画展の「歌川広重狂歌東海道五十三次展」を見るつもりで、10時頃から見に行っていてまあ1時間くらいでみて昼飯くいにいくべとか思ってたのに、常設がすごすぎで、途中から疲労で集中力が切れて腹が減ってるのに気づくような始末だった。疲労と空腹で企画展は20分くらいで流す羽目なり中華くったのが2時くらいだったか。
  • この辺から目録を見ながら上の方に追記したりしながら書いている。玉川では簡易パンフの表紙になったりと松本竣介が目玉のようだったのだけど、大原にあったのよりずっと良かった。「都会」は自分には大変に滓に思われたので、玉川で別の作品が見られて良かった。中村ツネも玉川のが好き。置いてあったものでは朝倉響子のはどれも良かった。人気もあるらしい、なーる。ダリの置物もはげしくプリティだった。
  • つうか、漢字の名前って覚えにくいんだよなあ。やっぱり文字だけ見てもあんまり思い出せない。
  • 大原美術館は工芸品も置いてて、富本憲吉のが素敵すぎた。焼き物は滑らかさが綺麗なのがすき。棟方志功は玉川の方が優れている様がわかりやすかった。
  • まあこれも記録的にかいとこうか、ピカソ。すげー。ハードSFまんま時間的無限大wというか、絵のところから時空が…。玉川近代美術館の「コップと赤小蕪」なんか小さい絵なんだけど、大仰で巫山戯た額縁に収められていて、あれは折伏しているつもりに違いない、美術館が作品を折伏してどうする!と勝手に憤っておりました。紋切り型風にいえば、絵自体が特異点って感じ。生兵法SFファン的には、波動関数の収縮。あのての20世紀っぽい作品は、実際に作者が手で描いてるっていうか塗ってるのが、意外に結構なユリイカで、キリコなんかもそう。こんな絵を如実に塗って描いてるのか、ああ、って。
  • セザンヌを激しく別格とした上で、全体から一番好き、一番寄り添いたいと思ったのはシダネル。どこまでも静かに黙せそうな夕暮の食卓。えー今チボー家の人々を読んでるんで。あ、ピカソも別腹かなあ。ああそれは別腹ばかりになるなあ。
  • あーたのしかった。今度は金沢行きたいなあ。