上田現

  • 何か死んだそうです。この人の曲は自分の土台の一部で、あまり深く感じたくないのでこんなところで


    追記:
    とりあえずそういう取り返しのつかないことはやめといてください。肺がんとか、らしすぎて笑えない。悲しい。悲しい。悲しい。
    という程感情は動いてないんだけど、仕事は手につかない
  • サイトをいろいろ回ってほんと、お通夜みたいに死んだじじいを偲んだ。
  • 「森の掟」を聴き込んだあとは、自分の趣味の移ろいとともに自然と遠ざかっていた。上田現アキレスと亀のアキレスのようなもので、前に進むタイプのアーティストではないと捉えたから、レピッシュ時代からソロ2作分まで体に浸透させてしまえば、あとは「聴かないけど存在してくれていればいい人」プールにいれて構わなかった。
    行ったライブではたしか上田現のテーマやったはずで時期は森の掟の後だったろうか。体験のイメージだけ刻まれててそれは手に取れるような記憶ではない、がそのイメージは強い満足感として残っていて、だから百物語については「全部終わるまでに1度くらい行ってみてもいい」くらいの感じで、そんな風に話に上らせたことがあったくらいで問題なかった。今にしてみれば惜しいことだと思う。百物語も一度くらいは行っておけばよかった。
    上田現は過去の自分の中心的なものの一つで、血肉となってしまった今となっては、その死においても左程どうという心の動きがない。あるのは不在に消滅が入り込んできたという持て余す感覚。考えに上るのは”過去”で、自分のアクチュアルな上田現はそんなところ。
    ”過去”というものについては、若く幼い時分の自分は上田現において多くの感じ方を学んだと思う。生き生きとしていないもの、血肉の通っていないもの、本や音楽や美術や過去・歴史などのように生きていない形に定着されたものに接して楽しむ分野への親しみやすさ、は上田現によって大いに育まれた部分がある。それだけにライブの上田現は素晴らしかった。そういう記憶が残っている。
    確かに早すぎて本人や近しい人には残念な死ではあるのだろうが、歴史上大文字の人物としての上田現としては十分なものが残っていると思うので、それはそれでまあいいんじゃないかと思う。
  • あと昭和ってかいてなかった。昭和昭和。