その発言の不当性

  • http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20040704#p1について。前のチャット記事への意に沿わない反応を政治的レトリックでこき下ろしたいという要撃的意図が第一であるように感じられる。
  • 以下は原則的に「村」についての話で、HIPHOP論にはあまり関係ない。なお、自分はHIPHOPは比較的どうでも良くて、アヴァントポップ方面が好きなどこか別の村の人です。
  • 至る所で「「村人こそ、村に帰って村から出るな」」という類の発言はしばしば見られるが、単なる感情の発露に過ぎない場合がほとんどで原則的に不当だ。大体「村」と言い出す時点でレッテル張りであり相手をまともに評価する気が無いのが分かってしまう。自らのコミュニティの「正統性」への盲目な信頼の現われであり、ある種イデオロギー的態度としての居直りということが出来る。こういった人たちは、イデオロギーの時代が終わっているという事の意味が良く分かっていないのではないか。
  • だいたい仲間同士で「敵」を論評する時って、ガードが甘くなるもの。その仲間意識はこちらからからは立派に「村」に見える。何らかの立場に立つということは必ず「村」性を帯びるのだ。「村に引っ込め」というのは、それを言ったものにそのまま返ってくるし、言ったものの「村に引っ込みたい」という気持ちの表れにも見えてくる。栗原さん発言への言及どころの選択にもそれを感じる。
  • それと、「言説のやりとりでいくしかないですね。前提として」というのはchikiさんたちの言説の現実として「前提」ではなく「建前」と書くべきだと思う。自らその前提が満たせなかった時はコメント欄であやまっていたりするのだから、実際に言説のみでのやりとりなど実現出来ていない。前提として、それを完全に行うのは、現実には言説を解釈する「中の人」が必ずいる以上不可能だ。基盤の共通化への出来る限りの努力を自ら欠いた中で「言説のやりとりでいくしかない」などというのはフェアな態度ではないと感じる。
  • この状態での村に帰れという発言は無意味な個人攻撃に他ならないだろう。それを隠蔽する為の迂遠なレトリックは醜い。そのあり方自体ひょっとすると「HIPHOP」的でない「インテリ」的な態度かもしれない。最初のチャット記事でそう思わなくても、今回の掲載記事によってそう思う人もいるだろう。つうか自分はそう思った。「インテリ村のHIPHOPもあるのよ」って言えばいいと思うんだけど。
  • また、「村」というのは外部からは窺い知りにくいもので、その全貌も分かりにくいものだ。村の成員によるアウトプットは原則的に「村」の側面でしかないし、「村」がどう見えるかが見る側の資質に因るという事も無視するべきでは無い。大した村でないように見えるのが、見る側の不見識かもしれないし。
  • http://hobby.2log.net/loose/archives/blog20040624.htmlみたいなのを簡単にディスコミュニケーション指向の「信仰」だと切ってしまっているけれど、それは十分な態度じゃないよな・・・。その時点で良く分かってないわけで、その「良く分かってない」って事は慎重に受け入れるべきだと思うよ。いかにも宗教に不慣れな日本人の態度としてその辺のサラリーマンとレベルが変わらない。つか「宗教」「信仰」に特化した話じゃなくて、「他者」に対する基本的な態度の話なんだけど・・・。エリアーデの小説読んで欲しいな・・・
  • あと、chikiさんらは自分たちが「村人」では無くて「商人」とかみたいなもんだと思ってるんじゃないだろうか。そうそう常々「村」というメタファー自体不適切だとおもっていたんだけど、そのへん「ギルド」くらいの方があってると思う。