メモ。隙間。あたりまえのつまらん話

  • http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20040903#p4を垣間見して。自分も広告都市・東京やその他の都市論やさまざまな論を確かに読んだのだが、いつも基本的なことが気になっていて、それは何かを定性的に語ろうとするとそこから零れ落ちるものがあるという当たり前の事。「スペイン坂なんていっても隙間だらけ」というのは当然事実としてそうなわけで、一方で「論」には範囲を限った事(「・・・〜を〜とみなした場合・・・」)しか書いていなくて、当然「論」にも隙間は開いている。こういう隙間のことを考えると、時としていちいち「論」と正対するもの何だかなーな気分にもなろうものだが(というか感想を書く気がなくなる)、(実感とのズレとかを端緒とするそういう諸々の)気付いた隙間を丹念にマーキングするのは大事だよなというファンダメンタル〜を改めて確認した次第。
  • 批評的視点からの観察による客観的類推と、そぞろな主体の実感のズレっていうのは、オタク論とオタクの実感のズレが象徴的だけど、それはいたるところに適用できる。いわゆる一般消費者という殊更にそぞろな主体の主観世界なんかは特に顕著に、時として批評的・自覚的視点からの類推を遥かに超えてたりするし(なんかずれてるけどhttp://adv.yomiuri.co.jp/ojo/02number/200309/09toku1.html(必見)みたいに)。
  • 時代精神はどう着地したのか。とか、「渋谷はできれば行きたくない」グループ(マジョリティか?)についてとか。
  • 「夢の空間」を侵食する「材質の現実」とか。実際に身を置くと全然夢じゃないし。そういう「着地点」について。→VRが優越するところ。「現実」の「夢」には必ず限界・範囲があるし。VRとの範囲の違い。って懐かしい話になるか。
  • いまテイラーを読みはじめているので、「記号の「向こう側」にはもちろん何もないのだけれども」とか言われると、ではそこに「ある」ものとは何なのかとか考えたくなる。まあ面白みのないものがありそうだけど。