ニート

  • http://kiri.jblog.org/archives/001277.htmlの追記部分。双方様々に言葉を紡いでいるが、一般社会の側もニートの側も"嫌な思いをしたくない"で利害が一致しているってだけの事じゃないだろうか。ニートの側のそれは見えやすいが、自分としては特に社会の側の(=我々の)"嫌な思いをしたくない"っていう単純である種無責任な思いがそれと言う明確な姿をとらぬままに巧みに常識の中に編みこまれ、不寛容の障壁をなしていることの問題だと思う。「自分は一所懸命やってる」っていうような人の、やらないでいることに一所懸命なものが気になるし鼻につく。
  • 不寛容の好例。http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2004/12/neet_ron.html#more。こちらは話を単純化すれば話が単純になるっていうだけの話。「フリーライドの余地をなくせ」って、社会全体が貧乏だった頃は自然とそういう状態だったのだろうが、今それをやったらどんな感じの社会になるんだろうか。経済的に締め上げられるのが嫌で今みたいな社会になったんだと思うんだけど、その点単純に逆行させればいいの? それってあれだ。詰め込み教育ゆとり教育の振り子運動〜な話みたい。それは困ったら問題を単純化してそこに押し込めるっていうとても適切に場当たり的でまさに現代日本社会の積み上げてきた方法論を地で行くステキ解決方法なのでは。で、行き過ぎるとこんどはゆとりとかいいだしそう。
  • 経済にリフレ派な施術をするのと同じように考えてるんだろうか。それってカテゴリミステイクじゃないのかと。
  • 下から3,4つめのパラグラフについて。勢いで適当な事かいてて蛇足だ(いや実感ではあるんでしょうが)。専門職では大卒エリートは役に立たないって話はまちがいで、専門職としての熟練が役に立つ条件でしょう。むしろ学歴高い方が習熟が早い事も多そうだけど。そもそも熟練と学歴は無関係。下から5つ目のパラグラフはおかしくないけどそれに続く2つは余計っていうか話の筋が違う。大卒エリートとただの大卒も違うし。つうかこういう筋では、ちゃんとした(学歴ではなくて発想力においての)エリートと、受験勉強が出来ただけのにせエリートが同じ権限を持たされて、後者が前者の考えた事を台無ししがちだってあたりのことが問題の方向性じゃないかしら。パートのおばさんよりも仕事しないホワイトカラーってのはそういう話でしょ。そもそも「世の中を本当は誰が支えてるかが分かる」こととニートの問題は関係ない。大体自分はがんばってるって言いたいだけじゃん。本と、がんばる度合いと社会の支持に役立つ事は全然比例しないから。ああほんとなんで関係ない話を如何にも意味があるかのようにするんだろ。
  • つうかなんで人間性を工学的に扱おうとしないんだろう。こういうタイプの人がエルゴノミクスデザインな道具とか使ってたら或る種の自己矛盾だと思うけど(これは言いがかり)。「身近な人間が言わない」事を問題にするのではなく、必ずそのメッセージが届くようなプログラムを社会の仕組みとして作るってのが本筋だと思うが。うーん「ファイナルアンサー」ってのは拙速な気が。
    もちろんそれですべてきれいさっぱり問題解決ってことになるわけは無いが、ええと欧米はそれなりにこういう方向はむいてるんじゃないんでしょうか。そんなイメージがあってさあ、んで事大的な方向ってご時世じゃない(アメリカのアレは後進国の反動でしょう?まあ日本も後進国だと思ってますが(ヨーロッパ中心主義者>自分。だって現代ではヨーロッパが一番妥当に見えるんだもん))んだしさあっていうか事大も困難だろ。ならガンガンまねしろや欧州、得意技じゃろうがあ。などと吼えたい気分の獣がセカイの中心。
  • 要するに自分は、非常に大きなウェイトを占めるにせよ経済が全てじゃないのは明らかなのに、経済しかないような振りをしないでーそこは逃げないでー(号泣)という人なのだと思いました。逃げかどうかは経験的にわかることで、日本社会はそう判断できるだけの経験を十分に積んだと思っていると。重商主義って何世紀の話だよと(ちょっとちがうか)。