首大辺りで語られてる事の部分としての大学の意義についてぼんやりとポリティカリーインコレクトな見解を

  • 学生のする経験の質と言う事で思うのは、高校まででする勉強と大学での勉強では物事の捉え方・考え方が全然違うということ。こう書いただけでも実体験があれば判ると思うのだけれど、判らないとすれば高校が素晴らしかったのかもともと本人に見識があったか大学が駄目だったかのどれかだ。「大学での勉強が社会で役に立たない」ってどういう人がどういう見地で言うのだろう。学閥形成の為なんて殆どの大学出身者に関係ないと思うけど、それでも大学やそこでの勉強は普通に役に立ってると思うけど。どうでもいいけど高校の勉強の方が不要度高そうな気がする(ていうか高校までの知識目的の勉強に12年も要らないと言うか)。
  • 一般に社会に出て役に立つと思われている事よりも、そういう所から離れたものの方が実際役に立ってると思うけどねえ大学。「役に立ちそうなもの」なんて誰でも出来るというか誰かがやってくれるので、微細にでも違うこと飯の種になりそうな事は浮世離れしたものの中にヒントがあるような印象がある。大学に求められる役割って社会や文明や文化の推進力になる人材の輩出で、それは社会の維持安定の為の人材とは同じではないし、数も多い必要ないと思うのだけど。一般に大学は輩出した人材の上澄みで評価されるんじゃないのでしょうか? つうか社会の現状をみるに問題は初等教育にあって大学生のレベルがうんぬんはそっちの影響に過ぎないと思うが。あと日本のホワイトカラーの生産効率は低いと聞いた事があって、それならば、そいつらの求めそうなことをやっていても二進も三進も行かないと言うか。
  • 現実離れしたことを言えば、公教育は原則全面公費負担がいいと思う。現実を真面目に離れたら普通に出来る事だと思うがね。まあこの意味で日本人は一般に不真面目だから非現実的なのだけれど。これは日本人は一般に非現実的だという事です。