個人的な立場として思うナロードニキ

  • http://d.hatena.ne.jp/kemurin01/20050221/1109049979http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050220を褒めているが、自分は余りそういう風に思わない。非常に低いレベルの話に終始するが、自分は人間にとっての関係性の卑近な実装は海に例えるくらいがいいと思っている(彼らは波頭だ)が、彼らの表現は既存の挫折の系列に連なるもののように感じられ、海に例えられるべき現状を変えうるものでは無いように思う。今我々はこれが海に例えられることを是とするだろうが、私は、例えば「空間的距離感や数直線的時間性というものの絶対性がかなり疑わしくなって」こないようなレベルでの行動・表現によらずにこの絶対性において先ず相対化するということを殆どの人が実現出来ないと思う。歴史とはそういう歴史ではなかったかと思う。彼らの、至った境地を説く言葉、至るまでの過程を説く言葉が既存の挫折の系列の範囲と異なるようには見えない。kemurin01さんはそれを小説で行おうというのだろうが、それは結果、境地におけるリバタリアニズムに終わってしまうのではないかと思う。私の人生の場合それに類する方針は大学時代を経て消えた。私は群れの底上げこそが必要だと思うし、顕者の行動としてhttp://blog.picsy.org/の試みの方が道筋として正解だと思う。