なんか書きたい気分

  • http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20050718に「というのは、テロを引き起こす犯人たちを、その母集団と考えられる民族集団から切り離して考えられない人がいるんだろうということ。つまり、テロの犯人たちというのを、テロを起こすそのこと自身で断罪できる心理的枠組みを持っていない人」とあり、まあマスコミは寝ぼけてるんだろうというのはそうですねなのだが、テロの犯人をテロを起こすそのこと自身で断罪することと、どうしたらテロを起こされないで済むかというある種より自分自身に近い問題意識としてテロリストの母集団を考えることは、排他的なことではないと思う。また、我々がテロリストの断罪を叫ぶことは主に内向きの効果を持つものだと思う。つうかテロリストへのメッセージ性はうすい。被テロ集団・テロリスト・テロリストの母集団の間にはそれぞれにコミュニケーション(これは当然ディスコミュニケーションを含む)があり、それぞれに内向き・外向きの働きかけがある。働きかけへの働きかけとか。あーこういうののまともな話はリンク先の先のこちらhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://workhorse.cocolog-nifty.com/blog/2005/07/post_ba90.html#more
  • 時の流れ、環境の変化(どちらも人間の営為)という形でテロリストとは妥協することになる。歴史ってそう語ってると思う。