言論?政治?

  • まず余談から。コメント欄で「はじめに言葉が在し、言葉は神と共に在し、言葉は神で在る。」ていうのがあって、人間は言語化されることで思考能力を手に入れると説かれていて、まあよく聞く話なんだけど、言語前の思考を無かった事にでもしたいのかといつも思う。人間には犬なり猿なりのレベルの思考もあると思うんだけど、そういうのはスルーなのか? というかきっと言語化できる論理性ばかりを問題化したいのだろうと思う。プラグマティックな範囲では別にそれでいいんだろうけど、多分いつまでたっても思考するコンピュータが作れない。まあいいのか彼らは。閑話休題(置き場所が違う?)。
  • で、ここでいわれている「言論」はほとんど「政治」に置き換え可能だと思う。ここでいわれている「言論」の殆どは「政治」の属性じゃんと。きっと「言論」をもっとシェイプアップして語らないと、「言論」が「政治」ならずとも「空虚で不安定」になってしまうという例かもとおぼゆ。ここで求められている「内実」はもっと殺伐(←術語。夢いっぱい)としたものに担われていると思う。つうか「サイバーカスケード」って言葉のままの方がよっぽど「内実」的に近いような気すら。
  • オカルトがどんどん科学になっていったという歴史をファンダメンタル的に捉えてそのフラクタルな感じがただそれだけって感じか。
  • http://d.hatena.ne.jp/i/tokyocat/20050728#p1辺りとも関係あるか。私としては、「普遍」てものが概念である以上一定の人間的範囲に納まらざるを得ない、「普遍」はスペシャルな外部性を持たない、と思うけど。つうか「世界」と「普遍」とどっちの方がより包含的だと思ってるんだろ。私が常識的な領域で思うのは、「世界」による規定がより上位で、その下に「人間」や「物理」や「普遍」は並列してるイメージ(グノーシスちっく)。だからこの議論はむしろ、論理的な領域の思考、クリティカルシンキングの訓練みたいに思える。「数学は普遍かも」については、人間的錯覚として自然なことだと思う。
  • このエントリをよく読み返して思うに、私の主張は、私は思考停止してるって事みたいだな。思考停止ってのは、考えてないということではなくて、考えのメタレベルがアップデートされないって事だから。