思考の名において政治をすること

  • 何が言いたいかというと、言説における内容の要素のブロック間に関係性を見ることを考えること思考することだと思っているのならばそれは間違っているということだ。何か論じる際に単語単位の意味の定義を逐一述べる事は一般に必要ではないが、思考が理想的に行われている場においては、言説内の単語がその言説による照射によって一般的な使われ方に対してどのように定義しなおされているかは常に考慮されていているだろう(これは単なる精度の問題でもあるがそれだけでもないと思う)。そうでない状況の局面では、頭の中で言説の政治が行われているに過ぎず、そこは思考とは言えない。メディアリテラシの概説において主要な内容はこれを含むだろう。
  • クリティカルシンキングは上記のことを助けるだろう。つうか考えるって当然に普通に上の事は踏まえられる(自発)ものだと思われる(自発)が、それを認識できないものは馬鹿とか頭悪いとかいわれるだろう。普通大体の人間は馬鹿とか頭悪いを含むが、その頻度や程度が問われると思われる。
  • なんていうのはhttp://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20050812#p01の記事元的リンク先のコメント欄の論議から想起されたことでした。連綿たる思考の政治様式の歴史的継続性、群における知能レベル分布のグラデーション、メディアリテラシ、男のくだらない類型、女の不毛な類型…方や男は典型的に不明で、方や知者は典型的に女。それぞれ思考が政治に堕するこの辺でというポイントに醍醐味があるのか。内容は各論的で最近ほんと良く見かける類のものだけれど、なんというかレギュレーションが見えやすく、単なるありがちな局地戦を超えてさまざまな様式の典型を見せてくれるように思われる所が面白さのポイントだと思った。「ナロードニキ」って言うのが反射的に連想されたのだけれど、ぐぐって見つけたhttp://homepage3.nifty.com/mcg/mcgtext/kokkasihon/kokkasihon2.htmの楽しい文書と通じるものを感じた。たぶんこれも書いている人のほうが論争において頭がいい側に思えるのだけれど(デフレ経済がらみの話題でリフレ派の方が頭よさそうに感じられるのと同様に?)、やっぱ20世紀のロシアや中国の展開って人間の考え方にショックを与えうるもんだよな、バブルとか9.11みたいに。継続的なもののなかに画期を見出してしまう人間的な働きは理不尽や不経済を含むと思うのだけれど関係あるかしら。