変奏

  • コントロールできないもの、に対するあり方。以下にそれを愛で、参加するか。あるいはよりプリミティブな段階として、いかにしてその認知を持つか、なにがそれだという認知を持つか。
  • たとえば自分の上司は優れた人なのだけれどもかなり興ざめなところがあって、「考えても無駄なことは考えない」と言うようなことをいう。それは限られたミッションについて有効な知恵の言葉であることは確かなんだけれど、「クリエイティブっていうのはね」とかいうことを語る人が口にすべき言葉ではない。なぜかと言うところは上に書いたことから。クリエイティブっていうのは無差別級でレギュレーションのないところとの通信を欠かしてはいけないもので、その裏打ちがあってこそ、制限がアプリオリに在るからこその戦いに意味が出てくる。と思うのよ。思うと言うか、知ってると言うか。グノーシスには深いシンパシーを持つところだし。
  • コントロールできないもの、という認知のもとでは、私のよく言うところの「範囲」が爆発的に拡がっているわけです。コントロールしたがるばかりでは、惜しいところで視界が狭くなる、それはつまらないと思うのよ。参加のフェーズを考えるとコントロールと言う言葉の佇まいさえ変わってきたりもするのだし。つーか、関係ないけど、神とかなんとかってそういうことを敷衍するための用語じゃないんですか。
  • そういう落ち着きどころを設けることで、安定を得ることが出来るというおまけ作用が宗教の主眼的なところだとおもいますが。精神の不安定が落ち着きどころのなさからくるのならば、そういうのにも効く。その落ち着け所を持つことには、飛躍があるし、それに宗教的な言い習わしは「信仰を持つ」ということばを当てていると言えると思うんですがどうですか。
  • 結構このエントリは言霊込めてるつもりなんで、単語の意味からして拡張気味に読まれたし。