異地

  • 今年の夏は、松伯美術館へ行く目的で奈良へ行ったのだが、ついでという事で2泊にして奈良観光もしてきた。直前まで本当に休みがとれるのか解らない状況だった事により、出発前日にガイドブックを買い新幹線の中で行くところを吟味する、という事前計画がない旅行だった。
  • で、美術館には中日にいったのだが、最終日がよかった。電車に乗り込んだときまでは法隆寺慈光院かなと思っていたのだが(初日は平城宮跡唐招提寺薬師寺垂仁天皇陵と歩いた。平城宮跡がちょっとありえないくらい素晴らしいw。この旅の行き当たりばったりは出だしからついていた)、どメジャーなところばかり廻るのは嫌じゃ嫌じゃと近鉄郡山で下りる気にならず、折角だからガイドブックの一番遠いところに行こうと思い室生寺・龍穴神社に行ったのだった。何にも知らずに。全く、郡山で降りなくてよかった。
  • 何がどうしたかというと、あの辺りの山はなんか違うのだ。石鎚山やその周辺の異景にも驚いたものだが、あの手の先ず美観として入ってくる感覚とは違うもの。自然物が神体・本尊となっている神社仏閣がどこにでもあるのは知っていたが(石鎚山だってそういうのがあったと思う)、そう赴く意識・身体の働きを実感したのはあの場所が初めてだった。全く人の行いはプリミティブなベタで面白い。そりゃ日本史は奈良から始まるわ。やはり神聖荘厳なものとの格闘が文明を育てる。あれは仕方がないと思ったのでした。高野山や熊野も行きたくなった。つうか死ぬまでには絶対に行く。むしろ、大阪辺りに仕事を見つけてあっちに住む時期を作ろうかとすら今の勢いでは思うのでした。人に聞いたところによると白神山地もすごいらしいからいってみたい。楽しいなあ。
  • エリアーデに接したりするにつけ、自分はアミニズムを知るのが好き、アミニズム萌えだと認識していたのが、アミニズムを一人称視点で体験してしまうとは思わなかった。しかも、山だよ相手は。超でかい。山イコール大地イコール豪いですよ。なんだそりゃ、べたべたじゃん。でも私の自分史においては画期的な認知なのでした。
  • とりあえず具体的には木ですわ。大木。木がボーンと。奥が知れねえ山林。木がボーン。
  • どんなところかは、こちらのサイトが詳しくて素晴らしいです。