シニシズムとかニヒリズムとかな気分はファンダメンタル

  • 最近使っている定期券は「エレファント」発「コロンバイン・ハイスクール・ダイアリー」経由、さあどこ行きでしょうね。とりあえず絶対にジェンダー論が示した脱構築としての観点は必ず通るべきだけれど。
    至る所で、或いは「みんなが」取り上げていますが、有名所でhttp://d.hatena.ne.jp/gyodaikt/20040616から、例の荒川区のアレ。これは、エリックやディランと同じような・同じレベルの対抗に他ならない、とても分かりやすい構図の相似。誰にだってそれは分かる。そうなら彼らを糾弾しても無駄だろうとも思う。我々が気づいた時には閾値を越えている。自分が既に彼らのように思考が駆動してしまう様に成ってしまっている場合を考えると、外野の声でどうやったら軌道が変わるのかは想像がつかない。糾弾して誤りを指摘して対抗するのは対症的処置に過ぎないわけだし。それでは彼らのいるレイヤーで同じレベルの叩き合いをする行為にしかならない。どんなに叩いても同じものがどんどん生産されてくるでしょ、今のここの社会では。異なるレイヤーが無数にあり、その中から特定のいくつかのレイヤーを識別することが可能で、それらに立ち位置を移動できるという基本を学んでもらって、それが平気だって事を知ってもらわないことにはどうにもならない。(ま、「〜と〜は同じ」って言うのは簡単だす)
  • つうか本当のところはこんな社会は見捨てて逃げるのが一番ベターだと思うよ。逃げ続けるのは我々の得意なことでもあるのだし。土着の愛も、止まり続けたい慣性の一例だし、そこに耽溺するのも怠惰の一環だわね。たとえ建設的な指向であってもその側面はある。宗教的な「考えないこと」の重視とはこんなことだったりする場合もあると思うけどどうでしょう?考えること自体が留まりたいという煩悩なのね。うふふ。はあ。がんばれ(wサンプル/俺!は。ああこういう馬鹿は困るなあ。フローフロー
  • 80年代〜90年代っていう10代を過ごすとこんな考えになるんだよね。だから、http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20040609#p1には本当そうだよ〜と。システムは修正局面にあるのに、未だに高度成長期を引きずってるよ普通の善良な人たちの作る組織のメンタルはたぶん。だから社会のスタンダードは「会社」にないとおもうし、「会社」はおかしいとしか思えない。そのニッチな社会には参加しない。生きていく為の金銭を得る為の必要悪として働いてるから、それはフリーターの心のバリエーションの中には入るでしょう。上の世代の演技の没入は見ていて哀れだし、その演技の本気に人間(「社会人」)の本義を見る態度には、「エリック〜」と呼びかけたい気分になる。そんなに被害者として開き直らんでも良かろうと。小泉首相なんかもそういう側面が多分にあるでしょ?あの人はそういう「社会」を代表してるなぁとおもう。