カタルシス(このエントリは特に「あえて」w率高し。_| ̄|○)

  • (人生的にも)周回遅れでhttp://d.hatena.ne.jp/finalvent/20040623(とくにコメント欄)にたどり着く。深く嘆息。茫漠とした「範囲」が埋まっていく感じ。自分史上この内容へのアクセスが今になったのは必然なのだが、なお想起されるのは「学生の間にこういった話にアクセスするルートが自分にあったならそれはどういうものだったのだろう」という慙愧の問いだ。
  • ここでのsvnseedsさんの「僕の世界は意味に満ち溢れていて豊饒至極です(笑)」というスタンスは、現代の大きな病根だと思うのだけれど(たぶん山形浩生的な)、それに対するfinalventさんの説明は最低だとおもう。自分はfinalventさんの言うことは知っている(直観でだけど)人なのだけれど、それを知らない人に説明することの困難をとても大きく見積もっていて、(同様の「信仰」を持つ人にはこれ以上がないほどの見事な説明をその上でしているのに対して)その乗り越えられない無数の言説の一つにしかなっていない(「宣教」みたいになってしまっている)。百も承知なのだろうけれど、宗教や信仰でなくても知で乗り越えられるって書いてるけど、宗教や信仰はその知の挫折した残骸で、元々知として指向されたものでもあるわけで、finalventさんの説明も知としての指向の挫折の残骸として宗教と同じレイヤーに置かれるもののように自分には思えた。
  • このカタルシスは代弁されたことのカタルシスなのだけれども、自分にとっては生きていれば自然と知れることなので、finalventさんのように確固とした拠り所を以って語るのは(プラグマティックには限りなく正しいが)美的に不十分だなとも思う。ちなみに以前自分が「なんでこの人こんな風に考えるんだろうというサイトもアンテナに乗せている」の一つがここなのだけれども、この違和感は、自分の知的な不足に加えてこの美的な不十分さの許容具合が関与しているのだろうとも思う。
  • ここ一週間くらいのblogは、論争(というか被罵倒)しているわけでもないのに、そんな成り行きだった時節よりもはるかに一番刺激的かもしれない。なんかみんなが代弁してくれてるよエンダー!w