レッドツェッペリンの2枚目を聞いて思ったこと

  • それはこれは野蛮だということで、この時代自分を変えること成長することが、外部を取り込むこと、外部の力による変化として捉えられてるな、またそのように行動しているなということ、この場合エスニックなものを自分に混ぜることで変化を起こそうとしているなと思ったのでした。それがどう野蛮かというと、対比にデーモアルバーンのマリ・ミュージックを持ってくるのだけど、このマリ・ミュージックと違ってツェッペリンにとってエスニックなものは内的なものとして取り込まれて外部としての存在を失っていることが。デーモンアルバーンは文明人なので、彼において外部は取り込むものなのではなく、それに身をさらし、変化は自分で起こすものなのだというスタンスになっていて、外部は外部としての自立性を保てている。だから野蛮な人は彼が嫌いなのです。
  • これは上の話と繋がっているんですがよろしいですか。普通の人は野蛮だといっているのです。野蛮は有用なのでそれはそれでかまわないのだが、洗練するというそれより多少は高度な方法論もあること位は認識してほしいもんだ。