さらに短絡するに

  • 今日の一番上のをhttp://d.hatena.ne.jp/kanose/20050730/popularpersonの話に絡めて。ヴァーチャルってネットについてかなり昔に比べると忘れられかけた概念かもしれない。抽象思考が苦手な人というのは多いと思われ、「リアルとネット」というのはかつては「リアルとヴァーチャル」だった。必ず過去との連絡性を伴い失われることもない「リアル」の性質がネットにも侵食し、それが「ネット」というコモディティ化で、たとえばサイバーカスケードへのアンチテーゼたるソーシャルネットワークなどがそうだとして、ならばサイバーカスケードの側にこそ「ヴァーチャル」的「内実」があるのだと思う(当たり前だな)。概して、ネットを「ヴァーチャル」に使っている領域において価値の高い活動は行われているのじゃないかと思われ、リアルに侵食されたネットのコモディティ的海からどのようにヴァーチャルが起ち上がってくるのかが考えどころの一面だと思われ。
  • 「様々なレイヤーがあるのを、すべて同一線上で扱えると考えること」は傲慢というよりは馬鹿が適当だと思うが、「曖昧さ」は聖域ではなく「様々なレイヤー」の重層的数値化・可視化により「曖昧さ」の近似を求めていくというのはノイマンチックな現代デジタルの本義的活動のひとつだと思う。
  • コメント欄も面白い。wikipediaも知らないような新規参入者や新規参入者のようなものに対しては付ける薬が無いというのはその限りでは間違いないと思う。そこに強く着目するのは馬鹿だと思うけど。古くからある同じ話題に新しい展開が必ず無いと思うのは強い信仰だとも思う。視野を広く持とうと志さない人ってよくわかんないや。